6 人見町会と人見南町会合併の関係
 人見町会と人見南町会との合併については、総会・役員会、会員の意見 として事ある毎に合併すべきであると言う意見がだされた。
 港まつり・運動会・敬老会・婦入部のレクリェーション・子ども会など 全て共通してる行事であり、同じ人見町で二つの団体が存在することは、 他の地域団体からみて奇異に思われるとの理由である、当然の意見である。  非公式に話し合いが持たれたが、それぞれの町会としての歴史があり まとまりがつかなかった、しかし町会会館建設が具体的になるにつれ、 函館市の補助金は、一町会に一か所より認めないことが明らかになった ため、両町会で建設委員会を立ち上げ共同で会館を建設することにし合併 の話しは、平行して進め当面は会館会館建設に力点をおくことにした。 しかし会館建設には多くの問題点が山積、会館建設費の徴収、土地の問題 で市役所との交渉、建設会社の選定・設計図・銀行よりの借入金・支払い 計画・備品購入・管理人・運営の問題・会館管理規定・管理委員会の準備・ 完成祝賀会・保存登記などに多大の労力を費やし完成後は建設委員会で 話題にならなくなった。  人見町会役員会でも、合併に対しメリット・デミリット等意見が交わされ 会長を誰にするか、役員構成をどうするか、会費の徴収(人見町会は殆ど 一括)・個別募金・(南町会では赤十字募金・共同募金・年末助け合い 募金・運動会・港まつり募金等戸別に募金してる等、人見町会でクリア しなければならない諸問題が具体的に提示された。  昭和56年当時の組織人員は、人見町会の会員数は800名、人見南 町会は400名であり、無理に合併しなくとも現在の会員数が適当な組織 でないかと言う意見が大半を占め積極的な合併の話しは消極的になった。
 唯一チャンスは、会館が完成し会館建設委員会を『合併促進委員会』に
変えて作業を進める事にようて進展があったと思われるが、会館建設に
全てのエネルギーを費やした当時の役員には、余力が無かったかもしれない。
 会館の運営が順調に推移してることからその後の総会、役員会で、合併
の意見は出されなくなった。
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