5 人見町会の歴史
 市役所並びに関係機関に公表している人見町会の発足は、昭和25年 4月1日となっているが、いつ誰がこの期日を正式な発足年月日として 届けたか確認できないが、さりとて現在では変更もできない、資料が 皆無だからである。 従って可能な限り文書を精査し想定をして、記憶 をたどりながら話してくれた古老の説明を受け整理した。  それによると、昭和22年〜24年にかけて国鉄職員住宅・市営住宅が 建設されたことによって、それぞれの地域毎に町内組織が誕生し、国鉄 職員住宅周辺と緑町(人見町5番1号〜30号)地区で結成した人見町 会(会長・岩崎 武氏)、市営住宅を中心に桜丘通りを含む周辺と、人 見町16番と26番の一部で構成した人見会(会長 京谷 京氏)そして 現在の人見南町会(旧名 人見親和会)などである。  昭和35年に至り、人見会と人見町会の合併の機運が盛り上がり、 その際人見親和会と3町会が大同団結して人見町に一つの組織を結成する ことに話し合いがもたれたが、合意に達せず、やむなく昭和36年3月に 人見会と人見町会が解散、翌4月から現在の人見町会が発足したもので ある。従って、昭和25年から活動していた人見会と人見町会の事業を 引き継いだ事実から人見町会の発足年月日を昭和25年と定義づけた ものと推定される。     合併当時の役員    会 長  京谷  京  氏    副会長  北  順太郎 氏    々    神山 スギ  氏    監 査  高間  勉 氏    々    島田 武雄  氏    総 務  竹内  悟  氏    役 員  岡田  巌  氏    々    菊池 正美  氏    々    福士 富之助 氏
(1)人見町会の会員数
 発足時の会員数は定かでないが、大まかに区分すると人見母子寮、
国鉄職員、そして市営住宅を含む一般住宅会員で構成されていたが、
昭和35年頃より、人見母子寮が順次縮小され、その後廃止となった。
しかし国鉄職員住宅が平屋から高層建築に変わり飛躍的に会員数が
増加、更に昭和63年から道営住宅人見団地入居者全員会員となり
平成4年では750名の会員数になった。
 しかし平成16年より、日本国有鉄道がJRとなり高層住宅が取り
壊されるに伴い会員数も急速に減少、平成22年度は500名の会員
数になった。
(2)役員選挙 第一は、町会役員を全会員の投票によって選出していたことである。  昭和32年度の規約によれば、町会役員は会員の投票によって 選出、総会で確認することと規定されているが、実際は無投票で 選出されていた。  しかし昭和43年の改選期でおおきな問題点がジャッキした、当時 現職の町会長だった菅野清行氏と現職の副会長、北 順太郎氏が共に 町会長に立候補したことであった。  一見民主的に思えた選挙規定も、立候補者が定数であれば問題ない が、町会会員の投票によって正副会長が争い、どちらが当選したと しても、しこりが残るのは火をみるよりも明らかである。即ち、 北 順太郎氏を町会長とし総務部長に島田武雄氏のコンビで執行態勢 を計画する勢力と、菅野清行氏を町会長とし、総務部長を石川直治氏 とする勢力と組織が二分される状況が発生したのである。  町会運営の要は今でも変わりはないが、総務部長の役割は重大で、 町会だよりの作成と配布・各種行事の計画実行・各種会議の準備・ 関係機関の連絡と会議出席・会員の苦情・要望の解決、いわゆる 小間使いから書記・連絡等雑務的仕事が主で、それだけに何でも 消化し行動できる立場にある人が要求される。